ソフトバンクのチームカラーをあしらったダリア、オンシジウム、モカラの黄色い花々。野村監督はその花束を抱え、マウンド方向へ歩み寄った。「また、現場にも顔出してよ」と照れくさそうに花束を手渡し、ラストゲームになった王監督と握手。優しく降る雨を見上げた。「涙雨だな。天も泣いてくれるんだよ」試合には勝ったが、敵将の気持ちを思いやった。
「張り合いがなくなる。そうだなあ。ONに支えられてきたからなあ。時代の終わりを感じた」巨人の王・長嶋のスーパースターコンビをライバル視してきた。「長嶋や王が大輪の花咲くヒマワリなら、俺は陰に咲く月見草」という言葉はあまりにも有名だ。現役時代からヤクルト、阪神監督時代、そして楽天に至るまで、常に発奮材料だった。そう思って戦い続けてきたからこそ、胸にポッカリと穴があいたようだった。
「現役時代は『こんちくしょう』と思ってやってきた。向こうはエリート、こっちは貧乏人だから…」いわば心の支えでもあった2人が、第一線を退いた。2001年10月1日、阪神監督として迎えた巨人戦は、長嶋監督が指揮した最後の試合だった。そしてこの日、ノムさんは「N」だけでなく、「O」の去り際も見送ることになった。「何かの因縁だな。俺にはONが常につきまとう」離れられない運命に苦笑いした。
来季も1年契約ながら指揮を執る。最終戦セレモニーのスピーチでは、「来年は何が何でもAクラス、優勝を目指していきたい」とファンに約束。そしてナインには「来年、すべてをかけた集大成として、引退の花道を飾りたい。この老人に花道を飾らせてくれ」と伝えた。王、長嶋が去ったプロ野球界の現役最年長監督も、来年は野球人生をかけて戦う。
◆王監督&野村監督 本塁打でシリーズで数々名勝負
王監督と野村監督のライバル関係は、激しい本塁打争いを演じた現役時代までさかのぼる。1963年、当時、南海の野村は日本記録となる年間52本塁打をマーク。すると、巨人・王は翌64年に55本塁打で新記録を達成した。
野村は65年から通算本塁打数で歴代1位に立った。だが、王が驚異的なペースでその差を縮め、73年シーズン中に通算563本で並んだ。一気に抜き去るかと思われたが、野村が意地をみせ、抜きつ抜かれつの状態が約20日間続いた。最後は王が振り切り、不滅の大記録、868本塁打へ突き進んだ。この73年は選手兼監督として野村がリーグ優勝に導いた南海と、主砲・王の巨人が日本シリーズで対決。巨人が勝ち、V9を達成した。
野村は監督として南海、ヤクルト、阪神を指揮し、97年には監督通算1000勝を達成。だが、王監督とは直接対決する機会が少なく、06年に楽天監督に就任してからの3年間でしのぎを削った。
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スポーツ報知