1960-70年代にプロレスの人気選手だったバーン・ガニア氏が、養護施設内のトラブルで殺人の疑いを持たれていることが分かった。25日(日本時間26日)、米ミネソタ州の地元紙などが報じた。
それらによると、1月末に施設内で97歳の男性が転倒し、腰などを骨折。合併症で2月14日に死亡した。遺族は「83歳のガニア氏が男性を床に投げつけた」と話しており、警察では殺人罪が適用できるか調べている。
当時、男性、ガニア氏ともに認知症の治療中だった。
ガニア氏は、ミネソタ州ロビンスデール生まれ。高校時代からアマレスとアメフットの選手として活躍し、ミネソタ大学時代にNCAAのレスリング王座を2度獲得。レスリングで1948年ロンドン五輪代表選手に選ばれたほか、NFLのグリーンベイ・パッカーズでも一時活躍した。
49年に、当時の世界一のプロレス団体NWAにスカウトされてプロレスデビュー。ルー・テーズと並ぶ人気選手となったが待遇面で会社と対立、60年に離脱し、新団体AWAを創設。『AWAの帝王』『ミネソタの猛虎』と異名をとる中心選手として活躍した。
70年に国際プロレスに参戦して以降、何度も来日し、81年1月にはジャイアント馬場(当時PWF王者、故人)と、AWA王座をかけたダブルタイトル戦(ドローで両者防衛)も行い、この試合は同年の年間最高試合に選ばれている。
得意技はスリーパーホールド。全盛時の体格は身長1メートル82、体重112キロだった。
By サンスポ
さすがに名前は知ってても、顔などは知らないですね。
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