FieLDS Dynamite!!~勇気のチカラ2009~(31日、さいたまスーパーアリーナ、観衆=4万5606)世代交代は許さない! バルセロナ五輪柔道男子78キロ級金メダリスト、ベテラン吉田秀彦(40)が、北京五輪100キロ超級覇者で総合格闘家デビュー戦となった石井慧(23)に3-0の判定勝ち。17歳年下の相手に底力をみせつけ、史上初の柔道男子金メダリスト対決を制した。当初の予定どおり、戦極がこの日、東京・有明コロシアムで興行を開催していた場合、その場で引退していたことを告白。次戦(時期未定)で現役を退く意向を示した。
ここは礼節の畳ではない。骨も砕ければ、血も流れる。サバイバルのジャングルで生き抜いてきた男が、弱肉強食の世界で、後輩を食った。五輪金メダリストの先輩、後輩対決。40歳の吉田が、世代交代の波に立ちはだかった。
「疲れましたね。(石井は)タフ。経験を積めばいい選手になる。お互いいい試合ができた」
試合後は、相手を評価し、笑顔でたたえる余裕もみせた。
ハプニングとはいえ、怒りの導火線に火がついた。2R残り30秒、石井の左ひざが吉田の急所を直撃した。激痛が走る。立つこともままならない。金的を保護するファウルカップは半分にへこむ衝撃度。約10分後、自然に巻き起こった「吉田コール」に促されるように立ち上がり、試合は再開。フルラウンド、すべてのスタミナを使い切り、試合終了のゴングを聞いた。
採点のコールにも自信があった。1Rに右ストレートで石井をグラつかせ、ダウンではなかったが、両手をリングにつかせた。スタミナでは若者にはかなわない。先手必勝。1Rから積極的に手数を出し、防御の甘さをついて着実に有効打を奪った。
2人は同じ柔道男子金メダリストでも、プロ格闘家になるまでの道程には大きな違いがあった。バルセロナ大会から3大会連続で五輪に出場した吉田は、32歳という全盛期を過ぎた年齢で、総合格闘技への転向を決めた。石井は21歳の若さで北京五輪を制し、柔道界との軋轢(あつれき)を引きずってプロ入りした。
そんなライバルに、手を差し伸べたのは吉田自身だった。08年11月にプロ転向宣言をした直後、練習環境に困っていた石井に、主宰する「吉田道場」を提供。ともに汗を流した。打撃のイロハも知らない石井だったが、五輪最重量級を制したパワーをその時点で感じ取り、励ましてもいる。
今回は戦極とK-1の合同興行として開催された。当初は戦極の単独興行として、都内の有明コロシアムで行われるはずだった。吉田は「もし(有明で)試合をやっていたら、そこで引退しようと思っていた。次の試合が決まれば、最後になる」と明言した。
PRIDE消滅後は戦極で闘ってきたが、昨年11月に自身のマネジメントを務める國保尊弘氏(40)が戦極を主催するWVR取締役を解任された。同氏は吉田の引退試合を今春に行いたい意向を持っている。団体名が戦極から変更される「SRC」のリングに上がるかは微妙だが、不惑の柔道王はボロボロの体にムチ打って、格闘技の魅力を最後まで伝え切る。
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